院長のじいちゃんの話パート2

院長の祖父のはなしです。院長も、小さい頃に突き指をしたりしてよく治してもらいました。

今は突き指したら自分でなんとかしますけどね。ではつづきをどうぞ。

 

                矢竹さん

 さて、このお爺さんはなんかわからん不思議な温かみのある優しいお爺さんでした。僕が生まれる前、戦後で

物がない時に、祖母の石川県の実家から、もち米が送られてきたことがあったそうです。祖母はそれを矢竹さんと

相談して矢竹さんからもいくらかのもち米を供出してもらって、2人で一緒にお餅をついたそうです。そして、近所の

子どもたちに分けて配ったそうです。

 いまだに、その当時の事をお寺に来て、

  「あの時は本当に嬉しかったです」

と話すお爺さんやお婆さんがいます。普通だったら貧窮していて、自分や自分の子供たちだけに食べさせてもおかしく

ないのに、みんなも食べるものがなくて困っているのだからと、分けてもらって・・・というのです。

 

 その話を僕は母から聞かせてもらい、今も思い出す度に、心がホッと落ち着いて、しあわせな気分にさせてもらって

います。僕の心の中には、そういう優しい人たちが今も確かに住んでいます。

 

私、院長の目標とすべき施術家の1人です。

もっと精進して近づき追い抜けるよう頑張ります。

 

それでは次回のブログでお会いしましょう。さよなら さよなら さよなら~

 

 

 

 

 

院長のじいちゃんの話パート1

院長の母方の祖父の話が、とあるお寺さんの檀家さんに配られる冊子に掲載され

まだじいちゃんの事を覚えて下さっている方がいるんだと思い、なんだかすごく

嬉しい気分になりました。

 

            矢竹さん

 幼い頃に「矢竹さん」という名の骨接ぎ(接骨院)をするお爺さんが近所におられました。鼻の下にチョビ髭を生やし、

坊主頭で太った、絵に描いたようなお爺さんでした。昔、柔道か?なにかをやっていたそうです。また山伏の修行を

していたそうで、なんかそのような写真も飾ってありました。

 

 足を挫(くじ)いたり、肩を脱臼(だっきゅう)したり、転んでなぜか膝に水がたまったりしたときに診てもらい、いつも

治してもらいました。

 

 僕がどういう風にして事故を起こし怪我をしたのかということを言うと、

  「うん、そうか」

 と言って、矢竹さんは眼をつぶって黙って痛いところに手をやり、ぐっぐっとつかんだりして、

  「うーん、これは、筋がのびとるな」とか、「何番目の骨がずれとるんや」

 とか言って、身体の中の骨や筋がどういう状態になっているのかが、手にとるようにしてわかるみたいでした。

 

 僕が幼稚園の頃、ある時、家でやんちゃして子どもの背丈ほどある電話台から何度もジャンプして遊んでいたことが

ありました。その時、着地に失敗してしまい左足に激痛が走りました。この時も矢竹さんに診てもらいました。

  「うん、これは骨折しておるな」

 と言われ、左足のすねに両手をあてて、

  「ちょっと痛いけど我慢しいや。サンマ・サンマ・サンマ―、エイエイッ!エイ!ヨイショ!もう1つフゥー、ヨイショ!」

  (山伏の修行をしていたからか、なんかこんなかけ声をいつもしながら、骨を接いだり、整骨したりしていた)

 と言って、左足のすねの中の完全に折れて、ずれていた骨を真直ぐにし、つなげてくれました。

もちろん、この間は激痛が走って涙目になって耐えている私でした。添え木をしてもらい、冷シップをして包帯を

ぐるぐると巻いてもらいました。

  「うん、また1週間したら様子を見るからおいで」

と言って帰してもらいました。結局その後、ずーっとシップの張り替えを続けながら3週間ほどで、きれいに治して

もらったことがありました。

 後で、病院でレントゲン写真を撮ってもらったら、きれいに骨がつながっており、お医者さんが

  「ほんまにきれいにつながっているなあ」

としきりに感心されていました。今だったら、たぶん外科手術をしてもらい、もっと時間がかかって治してもらうことに

なるだろうと思います。本当にこのお爺さんは骨接ぎの名人でした。

                                                          パート2につづく